西川流日本舞踊教室/写真

西川鯉男

 

西川鯉男 Nishikawa Koio

西川鯉男/写真
西川流参与
6歳の6月6日に7代目坂東三津五郎氏に入門、歌舞伎座にて唐子で初舞台を踏む。
昭和24年、西川鯉三郎師の直門内弟子となる。
昭和27年、「鯉男」として苗字内となり、柳橋検番で家元の代稽古を勤めた。
昭和30年より鯉好と共に「鯉男会」を主宰。家元の片腕として、長谷川一夫、山本冨士子等の公演で振付けをするかたわら、主宰の「鯉男会」でも多くの新作を発表してきた。
囃子方 籐舎呂正の名を持つ。
平成19年6月22日心不全の為、永眠。
西川鯉男

傀儡師 唐子/西川鯉男
傀儡師
唐子歌舞伎座にて初舞台
花若衆/西川鯉男
花若衆
立役で初の引き抜きなど評判をとった、『小島二朔作詞・清元栄三郎作曲・藤舎呂船作調』の鯉男振り付け代表作
かさねの「与衛門」/西川鯉男
かさねの「与衛門」
生涯一番の上演回数となった
うかれ坊主/西川鯉男
うかれ坊主
最後の舞台

松竹梅 鯉三郎家元と/写真
松竹梅 鯉三郎家元と

三社祭 右近家元と/写真
三社祭 右近家元と

[鯉三郎家元との思い出]

若い頃、ご長男で現家元である右近先生と踊らせていただいた「三社祭」でのお稽古はそりゃ厳しいものでした。
真冬であるにもかかわらず、「動きがよく分かる」と、パンツひとつになっての猛稽古。
その甲斐あってか、当日は「とても良く出来た!」とお褒めの言葉。
ご褒美に箱根へと連れて行ってくださったのですが……。
褒められて調子に乗った私はお酒を飲み過ぎ、右近先生を尻目に失言の数々。
鯉次郎先生にははらはらさせ通し。
まずいことに、下戸の先生は一言一句覚えていらして、後に何度もからかわれることになってしまいました。
代稽古をすると、先生はお月謝を丸ごと下さったものでした。
私は長年当たり前のことと思っていたのですが、後になって、代稽古の人に渡るのはお月謝の一部だけというのが普通なのだと聞き、びっくり。
改めて先生のお人柄に感激すると共に感謝した次第。
今日こうしていられるのも、先生のおかげです。